横浜山手を散策していると、教会をよく見かけます。
中でも、カトリック山手教会は、歴史的にも見学したいスポット。
他に横浜山手聖公会も目立つ存在です。
どちらも山手西洋館めぐりのついでに寄れます。
観光地にある横浜海岸教会、横浜指路教会も一緒に紹介。
全て横浜市認定歴史的建造物です。
カトリック山手教会の行き方
山手本通りにあります。
山手イタリア山庭園から元町公園の間にあります。
上の赤い丸印が「カトリック山手教会」と「横浜山手聖公会」。
黄色部分の道が山手本通りなので、少し離れてますが2つの教会は同じ通りにあります。
他にも教会はありますが、観光スポット的存在なため、地図上にはこちら2つが紹介。
電車で行く場合の最寄り駅
*JR「石川町駅」南口から徒歩約10分。
*みなとみらい線 元町中華街駅 アメリカ山公園口より徒歩約15分。
バスで行く場合
神奈川中央交通バス11系統 桜木町駅から約20分乗車。
「山手町」バス停下車徒歩0分。
山手は横浜が開港して、外国人居留地のあった場所。
教会も生活の一部として溶け込んでいます。
山手本通りは、山手イタリア山庭園~港の見える丘公園までが観光として紹介されるエリア。
山手というと、特に西洋館にスポットが当たりますが、教会もついでに寄れます。
上写真の教会の脇道からは「山手公園」に行けます。
カトリック山手教会の歴史
初代の聖堂は、開港後の近代日本最初の教会でした。
1549年後、聖フランシスコ・ザビエルにより日本宣教がはじまる。
その後キリシタン弾圧が続く。
1859年横浜開港時に、日本再宣教のためパリ外国宣教会のジラール神父らが来日。
- 文久2年(1862)横浜居留地80番地(現・横浜市中区山下町80)に「横浜天主堂」が献堂される。
近代日本最初の教会であり、現在のカトリック山手教会の初代聖堂。 - 明治39年(1906)天主堂付近の市街化により、山手町44番地(現・教会番地)に移転。
2代目は双塔を持つゴチック風であった。
大正12年(1923)関東大震災によって崩壊。
就任間もない主任司祭ルバルべ神父は震災の犠牲となる。 - 昭和8年(1933)現在の聖堂が完成。
- 昭和63年(1988)横浜市認定歴史的建造物に認定。
現在の聖堂は、鐘楼を持つゴチック式鉄筋コンクリート造りです。
横浜中華街の近くに、横浜天主堂跡の記念碑が残されています。
みなとみらい線「元町・中華街駅」2番出口を出た脇のところにあります。
横浜居留地80番地(現・山下町80番地)にあった、初代カトリック山手教会の聖堂の写真も見ることができます。
正式名称は「EGLISE DU SACRE-COEUR」(聖心聖堂)という。
※フランス語
建物に「天主堂」と記した文字があったため、天主堂とも呼ばれる。
見学したので見どころ紹介
山手カトリック教会の公式HPを確認すると、特別な礼拝や行事のとき以外は、祈ったり、聖堂に入って見学することが可能。
観光や散策目的で本通りを歩き、ふらりと教会に寄れます。
バス停も近いので、山手をあちこち楽しみたい場合はうまく利用したい!
歴史建築
「カトリック山手教会 聖堂」は、横浜市認定歴史的建造物。
開港時の教会は残されてませんし、2代目も関東大震災で無くなったのが残念!
ですが、3代目も昭和8年から続く歴史ある建物です。
聖堂内とステンドグラス
扉が開いていたので、中に入って静かに見学。
厳かな空気が流れています。
説明では、聖堂内の祭壇の両脇の左右の壁に、ジラール神父、ルバルべ神父の遺骨が安置されているそうです。
両サイドの窓は、ステンドグラス。
奥に素敵なステンドグラスもあるようですが、訪問時は、立ち入り制限ロープがありました。
教会は信者の方にとって神聖で大切な場所です。
迷惑にならない程度に、見学させていただきました。
中庭のマリア像
教会の中庭には、マリア像(聖母像)があります。
駐車場がある場所の奥のほう。
※駐車場の利用は、教会にご用のある方のみ。
明治元年(1868)にフランスから贈られたもの。
開港後はじめてのキリスト教会として、イエズスの聖心教会の入口の上に人々を見守る形で設置。
明治39年(1906)に教会が移転したことで、現在の場所に移されています。
※第1、第3日曜日は、13:30まで売店がオープンしているそう(その他不定期に開店することも)。
横浜山手聖公会
横浜市認定歴史的建造物。
場所は「元町公園」の斜め前。
※エリスマン邸、山手234番館、ベーリックホールの西洋館の近く。
外国人墓地もすぐ側。
大谷石を使用した、重厚感のある城砦を思わせるノルマン様式のデザインが特徴。
横浜開港により、横浜居留地に住む聖公会信徒たちのためにクライストチャーチが発足。
昭和22年(1947)に、英語会衆の横浜クライスト・チャーチと同じ聖堂を共有する形で日本語会衆の教会(プロテスタント)が生まれ、横浜山手聖公会と呼ばれるようになります。
- 文久3年(1863)横浜居留地105番(現在の中区山下町同番地)に、初代の聖堂が完成。
- 明治34年(1901)に、山手のこちらに移る。
山手カトリック教会と同じで、関東大震災で崩壊。 - 昭和6年(1931)現在の聖堂に建て替える。
その後も空襲、放火に遭いながらも当初の姿を維持。
基本は、外から眺めるだけです。
最寄り駅は、みなとみらい線「元町・中華街駅」。
駅から行くなら「アメリカ山公園」経由が楽です。
上の写真の道は、山手本通り。
※設計者のJ.H.モーガンは、山手西洋館の「ベーリック・ホール」「山手111番館」も設計しています。
山手以外の歴史建築の教会
開港地らしく、教会の多い横浜!
山手以外の横浜中心地の観光スポットとなる教会を紹介。
横浜海岸教会
横浜市認定歴史的建造物。
我が国最古のプロテスタント教会だそうです。
横浜市開港資料館のすぐ近くで、開港広場の横にあります。
最寄り駅は、みなとみらい線「日本大通り駅」3番出口より徒歩3分。
山手の教会とは対照的に、港に近い教会。
鐘塔の屋根の庇と塔の庇が重畳するなど個性的な造形が建物の魅力。
- 安政6年(1859)多くの宣教師が日本に上陸。
米国長老派教会のJ.C.へボン、米国改革派教会のS.R.ブラウンなど。
1861年には、米国改革派教会のJ.H.バラ夫妻が神奈川に渡来。 - 明治5年(1872)にバラ塾で学んでいた青年達などの受洗者が日本基督公会を設立。
J.H.バラが仮牧師となる。 - 明治8年(1875)に教会堂が建設され横浜海岸教会の名が付く。
関東大震災で建物倒壊。 - 昭和8年(1933)に現在の建物が再建。
明治8年N.Y.製の鐘を今も鳴り響かせているんだとか。
毎月第3金曜日に礼拝堂が一般公開されています。
海沿い観光のついでに寄れます。
横浜指路教会
横浜市認定歴史的建造物。
ヘボンゆかりの、我が国最初期のプロテスタント教会の一つ。
尾上町通りの大岡川寄りにあります。
最寄り駅は、市営地下鉄「関内駅」、JR「桜木町駅」、みなとみらい線「馬車道駅」など。
JR「関内駅」もそんなに遠くないです。
パリのノートル・ダム大聖堂に似たフランス初期のゴシック風。
- 安政6年(1859)アメリカ長老教会から派遣された宣教医J.C.ヘボンが日本にキリスト教を伝道するため夫人とともに来日。
ヘボン塾で勉強していた青年達を中心として、教会設立の気運が起こる。 - 明治7年(1874)アメリカ長老教会の宣教師ヘンリー・ルーミスが初代牧師となり教会設立。
- 明治25年(1892)現在地にヘボンの尽力により、赤レンガの教会堂が建てられる。
- 関東大震災によって教会堂が倒壊したのち現在の教会堂が再建。
教会名の由来
ヘボンの母教会である”Shiloh Church” の名をとって指路教会とした。
「シロ」は旧約聖書において、「平和を来たらす者」すなわちメシヤを意味し、「指路」は「シロ」のあて字で、路を指し示す意味である。(参照:教会設置の案内板)
基本は、外から眺めるだけです。
周りがビジネス街なので、人通りは割と少ないです。
まとめ
カトリック山手教会を中心に、歴史ある教会をめぐってみました。
横浜の観光地にある歴史的建築物の教会なので、近くに寄った際は見ておきたいです。
山手の教会2つは、西洋館めぐりや公園散策のついでに寄れます。
横浜山手聖公会、横浜海岸教会、横浜指路教会もいつか内部見学してみたいな。
実際見学できるかどうかは、変更等もあると思うので、公式HPや直接聞くなど確認が必要です。
各教会の公式HPに教会内の写真が紹介されているので、雰囲気は知ることができます。