横浜「元町公園」のアクセスは?洋館・ジェラール水屋敷跡・プール・弓道場など歴史散歩

元町公園前のバス停と元町公園

横浜元町・山手地区にある「元町公園」を散策。
山手側は、西洋館(エリスマン邸、ベーリック・ホール、山手234番館)、山手80番館遺跡。
元町側は、ジェラール水屋敷跡、遊具、記念碑があります。
またプール、弓道場の施設もある公園。
歴史めぐりしてきたので、アクセス・見どころを案内します。

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元町公園の場所とアクセス

公園の大きな入り口は、元町側と山手側にあります。

最寄り駅は、みなとみらい線「元町・中華街駅」。
JR「石川町駅」からも行けますが、やや歩きます。

元町側は水屋敷通りを進みます

元町・中華街駅の5番出口(元町口)を出ます。
左に進むと、元町商店街(ショッピングストリート)に到着。

商店街を歩いていると、山手側に向かう道がいくつもあります。
その中で「水屋敷通り」を探し、まっすぐ進むだけ。

元町公園入り口の景色(元町側)

元町公園入り口(元町側)

水屋敷通りの住宅街を歩いて行くと、最終地点が元町公園です。

こちらから散策する場合、山手側に行くには、園内で階段・坂を登ることになります。

山手側はバス停前にあります

元町・中華街駅の6番出口(アメリカ山公園口)を出ます。

アメリカ山公園」経由で、山手本通りに出ます。
右に進めば、外国人墓地の先に公園があります(徒歩約8分)。

元町公園前のバス停と元町公園

元町公園入り口(山手側)

「元町公園前」と書かれたバス停の目の前が公園です。
※神奈中バス11系統

バス停の先に、白い電話ボックス(公衆電話)が見えます。
その先に進めば洋館「エリスマン邸」「ベーリックホール」があります。
「山手234番館」はバス停前です。

洋館目的であれば、この周辺だけでも楽しめます。

観光スポット周遊あかいくつバス「港の見える丘公園」下車でも割と近いので歩いて行けます。その場合、港の見える丘公園前から本通りを歩くと、外国人墓地があるので、その先です。

元町公園の歴史

昭和5年(1930) 6月1日に開園。

幕末の頃から外国人居留地のあった場所。
外国人住宅、教会など洋館が多数存在。

元町公園の案内板

明治のはじめ、フランス人のアルフレッド・ジェラールがこの地を取得。

山あいから湧き出た豊富な天然水を利用して簡易水道を引きます。
そして、横浜港に出入りする船舶の給水事業をはじめました。
「水屋敷」の名はここに由来します。

また工場を建設して、西洋瓦やレンガを製造・販売していました。

大正12年(1923)の関東大震災により崖が崩れ、工場が倒壊。
跡地は震災の復興に際して市有地となり、湧き水を利用してプールが建設されます。

元町公園のマップ

園内は緑豊かな樹林に囲まれ、起伏ある散策コースになっています。

元町公園の園内地図

園内マップ

元町公園プールを中心に、地図の左が山手側、右が元町側。

山手側の洋館を見学してから、水屋敷跡に行くのが、下りで楽だと思います。

楽しみ方いろいろ
逆コースなら、元町周辺でランチ。
元町公園を通り、山手に行き洋館見学。
山手周辺でカフェをするなんてこともできます。
ハマくま
元町公園の元町側、山手側それぞれの見どころを紹介します。

元町側の見どころ

公園の歴史を知るなら、ジェラール水屋敷跡

せせらぎ広場は、憩いの場所。
園内には、記念碑もありました。

ジェラール水屋敷地下貯水槽

元町側から公園に行く途中に寄りたいスポット。

ジェラール水屋敷の地下貯水槽が残されています。

ジェラール水屋敷の地下貯水槽と公園の看板

貯水槽と、この先進むと「元町公園」

上の写真左に、地下貯水槽があるので見学できます。

歴史についても詳しく案内されています。

ジェラール水屋敷の地下貯水槽の歴史説明板説明板の下の絵は、当時のジェラール工場の外観だそう。
工場入り口、左手の棟の下が現在貯水槽の位置にあたるんだとか。

堀に書かれた文字は、蒸気機関を用いた瓦とレンガの製造所であることを示しています。

この貯水施設を当時の人々は「水屋敷」と呼んでいました。

ジェラール水屋敷の地下貯水槽とそこで泳ぐ鯉

中は、なんと鯉が泳いでいる癒しスポット。

しばらく眺めてしまいますね。

せせらぎ広場

公園入り口付近です。

元町公園のせせらぎ広場

緩い傾斜になっており、水が流れるちょっとした広場です。

子供が水のところで、楽しそうに遊んでいました。

遊具場所に記念碑

せせらぎ広場の隣は、遊具場。

すべり台・スプリング遊具などがあります。

元町公園の遊具場と我国塗装発祥の地記念碑

我国塗装発祥の地記念碑

細長い「我国塗装発祥の地記念碑」発見。

嘉永6年(1853)ペリー来航の際、接見のため神奈川宿に交易談判所の建物外部に洋風塗装をしたことからはじまった記念碑のようです。
江戸の渋塗職である町田辰五郎が塗装を行いました。

説明文字が細かくて、よく読めなかったので、分かる範囲です。

この場所が発祥地ではありませんが、ペンキと関わりのある西洋館エリアらしい記念碑。

歴史跡の記念碑

大正活映撮影所跡の碑と元町公園旧児童プールの壁泉

大正活映撮影所跡の碑

手前は、元町公園旧児童プールの壁泉。
移設してこちらで保存。

奥の黒っぽい石は、大正活映撮影所跡の碑

碑文まとめ!
撮影所は大正9年(1920)に設立。
経済界の大物 浅野総一郎の子息良三氏が創立。
当時としては、はじめて映画界に財界の資本が投入。
ハリウッドで修業した栗原トーマスを監督に招聘。
作家の谷崎潤一郎を脚本顧問として迎えたことなど近代的な映画製作を開始した画期的な企業であった。
しかし、会社の事情により、3年という短い期間で終わる。
日本の映画界を目覚めさせ、発展のために一石を投じた業績は高く評価されるものである。

山手側の見どころ

元町公園の山手地区の見どころは3つの西洋館めぐり

【洋館の開館時間】9:30~17:00
【休館日】
エリスマン邸とベーリック・ホール第二水曜日。
山手234番館は第四水曜日。
※ただし休日の場合は翌日休み。
※年末年始も休みです。

そして山手80番館の遺跡もついでに見ておきたいスポット

エリスマン邸(洋館)

元町公園内にあるので分かりやすい。

エリスマン邸の外観

エリスマン邸の外観

大正14年(1925)~15年(1926)にかけて、山手町127番地に建てられる。
生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人格として活躍した、スイス生まれのフリッツ・エリスマン氏の邸宅。
昭和57年(1982)にマンション建築のため解体。
平成2年(1990)に元町公園内の現在地(旧山手居留地81番地)に再現。

こちらは再現された建物です。

ベーリック・ホール(洋館)

エリスマン邸の隣、歩道を挟んだ場所。
門を通る必要があります。

別の場所に感じますが、ここも元町公園。

ベーリック・ホールの外観

ベーリック・ホールの外観

昭和5年(1930)に建てられたイギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅。
第二次世界大戦前まで住宅として使用。
昭和31年(1956)に遺族より宗教法人カトリック・マリア会に寄贈。
その後、平成12年(2000)まで、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用されていました。

山手234番館(洋館)

バス停前。
元町公園の前ですが、こちらも公園の管理。

隣には、えの木てい(カフェ店)があります。

山手234番館の外観

山手234番館の外観

昭和2年(1927)頃に建てられた、外国人向けの共同住宅(アパートメントハウス)。
関東大震災の復興事業の一つで、横浜を離れた外国人に戻ってもらうために建設された経緯がある。
第二次世界大戦後の米軍による接収などを経て、昭和50年代頃までアパートメントとして使用されていました。

山手80番館の遺跡

エリスマン邸の裏手にあります

山手80番館の遺構

山手80番館の遺構

当時の面影をわずかに残す、関東大震災前の外国人住宅の遺構。

明治末期~大正初期に建てられたのではと考えられています。
現在残っているのは、地下部分。

山手80番館遺跡の案内板遺跡の説明板には、当時の間取りが記載。

震災当時は、マクガワン夫妻の住居だったそう。

本遺構は煉瓦壁体が鉄棒によって補強されており、耐震上の配慮がなされていた。
床部のせりあがりや壁体の亀裂が随所にみられ、関東大震災による被害状況を物語っている。
現在、地下室部分を残すだけですが、浄化槽も備え、古き良き横浜の居留外国人の華やかな暮らしぶりをうかがいしることができる。

(引用:山手80番館遺跡説明板)

山手80番館の遺構

全体を展望できるように、突き出た見晴らし台のような場所もありました。

さまざまな角度から遺構が眺められるようになっています。

展示されているジェラール瓦

山手80番館にもジェラール瓦が使用されていました。

元町公園は、西洋瓦発祥の地。
確認されている最も古いジェラール瓦は、1873の数字のある明治6年製なんだとか。

ブラフ溝

公園脇の入り口付近に、石造りの排水溝がさりげなく展示。

ブラフ溝の遺構

これは何?と説明を読んでみました。

この石造側溝は、ジェラールの要望によって、明治7年から8年にかけて敷設された排水溝。
房州石を船底型に組み合わせ、雨水が谷戸に流れこまないようにしたもので、洋風測溝として現存最古のもののひとつ。
同じ房州石で築かれたブラフ積石垣とともに居留地時代の横浜山手をしのぶことができる貴重な土木遺産。

(引用:ブラフ溝説明板)

横浜山手は丘陵地の地形によって、いくつもの谷戸が存在。
居留外国人たちから「ブラフ」と呼ばれていました。
※ブラフとは切りたった崖を意味する。
※谷戸とは、丘陵地が浸食されて形成された谷状の地形。

元町公園もそういった谷戸のひとつです。

公園のスポーツ施設

元町公園のちょうど真ん中にある2施設。
プールと弓道場があります。

プールは夏のみですし、弓道場は興味がある方でないと関係ないかも知れませんが、元町~山手に園内を移動する途中で少し見えます。

元町公園プール

毎年夏に、期間限定でオープン。

赤レンガの建物が目印。

公園プール管理棟(赤レンガ)の外観

レンガ造りの公園プール管理棟

季節が違うので閉まっています。

営業については横浜市公園プール(元町公園プール)の公式HPでご確認ください。

こちらにトイレもあります。

元町公園プール管理棟の屋根の一部分はジェラール瓦で葺かれているそう。

ジェラールの瓦とレンガの説明板近くに、ジェラールの瓦とレンガの説明板がありました。

歴史メモ
横浜開港後、来日した西洋人は最初は和(日本)瓦の日本風建物に住んでいた。
しだいに自国流の建物を建築。
建築資材の西洋瓦、レンガ等は舶来品に頼っていたため品不足のことも。
このことに目を付けたジェラールが日本最初の本格的な西洋瓦とレンガ製造工場をはじめる。

西洋瓦にはスパニッシュ瓦(スペイン)、フランス瓦(フランス)など種類があり、ジェラール瓦はフランス瓦に分類されます。

元町公園のプール

元町公園のプール

緑に囲まれた中心に、シンプルな50mプールが1つ。
ナイター営業もあります。

プールの周りは石段の観覧席で、休憩できるようになっています。

歴史を感じるプールなので、この先も残ってほしいなぁ。

弓道場

元町公園の弓道場入口の風景

元町公園内にある「弓道場」の入り口風景。

公式HPによると、昭和6年に五人立ちの道場として建設。
当時としてはかなり立派な道場であったそう。

戦後一時期使用できず、昭和28年に接収解除により、再び使用可能となる。
昭和45年に老朽化で建て直しをしています。
昭和55年には増築し現在に至る。

利用したい場合は、元町公園弓道場公式HPで確認できます。

元町公園の散策ルートから見える弓道場

散策していると、木々の間から施設内が少し見えました。

自然の中で、精神統一しての日本の武道かっこいいね。

ちょっとだけ体験してみたいかも!

まとめ

ジェラール水屋敷跡、洋館(エリスマン邸、ベーリックホール、山手234番館)、山手80番館遺跡あたりが、観光としての主な見どころです。
公園プールは水屋敷といわれた場所らしい施設ですね。
元町公園ができる前に存在していた歴史を想いながら、園内めぐりができました。
緑が豊富なので、過去真夏に訪れたときは木々の多い場所に蚊が多くいました。
夏場は虫よけ対策が必要かも知れません。

ハマくま
季節によっても楽しみたい場所!桜の季節もまた素敵ですよ。

公園の情報

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