横浜・関内駅前にある「大通り公園」を散策したので案内します。
川を埋め立てた帯状の公園で、全部歩くと一直線に1.2㎞の散歩が楽しめます。
「石の広場」「水の広場」「緑の森」などありました。
公園内に市営地下鉄「伊勢佐木長者町駅」「阪東橋駅」もあります。
最寄り駅、歴史、実際に歩いた散歩コース(見どころ)などをまとめました。
大通り公園の最寄り駅・アクセス
最寄り駅は、JR「関内駅」と市営地下鉄「伊勢佐木長者町駅」「阪東橋駅」です。
JR「関内駅」から行く場合、南口改札を降ります。
伊勢佐木町方面に出て、信号を渡れば「大通り公園」に到着。
上写真地図の赤い丸の場所(3か所)が「大通り公園」の各最寄り駅。
帯状の緑の部分が大通り公園なので、公園に沿って駅があるのが分かります。
- JR「関内駅」(地図下)
南口は、横浜公園(横浜スタジアム)も近い。
※大通り公園とは逆方向。 - 市営地下鉄「伊勢佐木長者町駅」(地図中央)
大通り公園の他、伊勢佐木モールも近い。 - 市営地下鉄「阪東橋駅」(地図上)
大通り公園の他、横浜橋通商店街が近い。
大通り公園の地図
大通り公園は、主に3ゾーンで構成された公園なんだとか。
公園の地図で確認。
- 石の広場「関内駅」側
石の広場では、キッチンカーが出店していることも!
時々フリマ、陶器市など、イベントを開催。 - 水の広場「伊勢佐木長者町駅」側
サンクンガーデンがあり、水の広場と緑の森をつないでいる。 - 緑の森「阪東橋駅」側
横浜橋通商店街の近くに遊具あり。
※サンクンガーデンを含めると4つからの構成になります。
大通り公園の歴史
大通り公園は、昭和53年(1978)9月9日に開園。
総延長1,200m、平均幅30~40m、面積3.6haの帯状の公園。
市営地下鉄「伊勢佐木長者町駅」構内に、歴史が紹介されています。
大通り公園は、昭和48年まで吉田川・新吉田川と呼ばれた一本の運河だったそう。
- 大通り公園周辺は、江戸時代初期まで南北を山に囲まれた入り海であった。
- 明暦2年(1656年)江戸幕府の新田開発奨励に応え、埋め立てを行う。
吉田勘兵衛氏が埋め立てたことから吉田新田と呼ばれる。 - 明治時代になると、水陸の交通の便をよくするために、運河計画が立てられる。
- 明治3年(1870年)に堀割川が開削。
その時の土砂で、吉田新田の沼地の一部が埋め立てられる。
そこが現在の蓬萊町、万代町、不老町などの町であり、その中央を貫いて吉田川が築かれる。 - 明治29年(1896年)に、吉田新田の残された部分が埋め立てられる。
その際、吉田川が延長されて新吉田川と名付けられる。
運河の整備と共に、多くの橋が架けられています。 - 昭和48年(1973)吉田川は廃止(社会情勢の変化に伴う新たな整備)。
吉田川・新吉田川は埋め立てられる。 - 昭和53年(1978)に、大通り公園が開園。
大通り公園は、都市部緑地整備事業における「みどりの軸線」構想に基づき整備。
この公園の完成により、山下公園、日本大通り、横浜公園、くすのき広場、大通り公園、蒔田公園と続く、緑の軸線がほぼ完成と記載がありました。
今まで気にしてなかったけど、阪東橋駅、横浜橋通商店街など橋の名が付いている理由が分かりました。
大通り公園の見どころ
JR「関内駅」側の大通り公園入口から、最終地点の「阪東橋駅」まで散歩しました。
途中に彫刻、レリーフなどあったので、園内の見どころとして紹介。
石の広場(関内駅側)
JR「関内駅」南口を出て信号を渡れば、公園広場が出現。
写真では見えませんが、左手に「関東学院大学 横浜関内キャンパス」があります。
石の広場にある、ロダンの彫刻。
ブロンズ彫刻「瞑想」
オーギュスト・ロダン(1855年作)
ロダンの全作品中、最も力強い作品のひとつ。
「内なる声」とも呼ばれ、「地獄の門」のため製作されたもの。
(参照:大通り公園の案内板)
その先ちょっとした芝生もあり、鳩がたくさんいました。
石の広場をまったりと歩いて行きます。
水の広場に着く手前には、公衆トイレがあります。
水の広場
水の広場に到着!
以前平日散歩したときは水が流れてなかったのですが、休日は流れていました。
上写真右奥の白い建物は「チサンホテル横浜伊勢佐木町」。
水の広場の近くに「日ノ出川公園」もあります。
水の音が心地良いなぁ♪
サンクンガーデン(伊勢佐木長者町駅あり)
水の広場の先には、サンクンガーデン。
季節によっては、バラなど花が咲き乱れて綺麗な場所。
ちょっとした庭園を通れば、市営地下鉄「伊勢佐木長者町駅」があります。
サンクンガーデンに、ヘンリー・ムーアの彫刻を発見。
ブロンズ彫刻「3つの部分からなるオブジェ」
ヘンリー・ムーア(1960年作)
人間の姿を思わせる有機的な造形で、屋外に設置するには最もふさわしい、
モニュメンタルな作品といわれている。
(参照:大通り公園の案内板)
ちょっと分かりにくい場所ですが、バス停側に「笹と少年」の彫刻もありました。
公園内の中央に位置する場所に「伊勢佐木長者町駅」2番口。
『みどりの森連結通路』とも書いてあります。
緑の森に行くには、駅構内通路を通り抜けると楽です。
※地上から行く場合は、一度信号を渡ります。
「伊勢佐木長者町駅」構内の連絡通路の壁面に「橋の詩」。
陶板レリーフ「橋の詩」
都市デザイン室(1981年作)
大通り公園は、以前、吉田川・新吉田川と呼ばれる一本の運河であった。
この運河にかかっていた10橋の橋名板を配し、以前の街の姿を実現したレリーフである。
(参照:大通り公園の案内板)
レリーフには、周辺の町名の他、明治末期、昭和初期、戦後の吉⽥川・新吉⽥川の写真もあります。
【かつての10の橋について】
*明治5、6年に架けられた吉田川の4つの橋(蓬葉橋、権三橋、鶴之橋、千秋橋)。
*明治30年に架けられた新吉田川の5つの橋(山吹橋、武蔵橋、長島橋、横浜橋、日本橋)。
*坂東橋だけは遅く、関東大震災後の大正15年の架橋。
昔をしのぶ多くの市民の方々から、公園内への設置を望む声があったそう。
以前の姿を実現したレリーフとのことで、興味が湧いてじっくり見学!
緑の森(一番端に阪東橋駅)
伊勢佐木長者駅から、緑の森側に出ると、すぐの場所にオシップ・ザッキンの彫刻。
大通り公園はずっと繋がっているのではなく、途中信号のある道路も横断します。ブロンズ彫刻「働く女」
オシップ・ザッキン(1920年作)
初期の作品で、キュービズム運動に参加した初期の代表的作品のひとつである。
(参照:大通り公園の案内板)
緑の森と書いてある公園地図の案内板を発見。
近くに「山吹公園」あり、伊勢佐木警察署、中消防署なども確認できます。
大通り公園(緑の森エリア)の途中で区が変更しました。
今まで中区でしたが、ここから南区も加わります。
夏なので暑いですが、緑が生い茂り気持ちの良い散歩道。
「横浜橋通商店街」に近づくと、子供の遊び場(遊具)が出現。
ブランコ、ミニ滑り台などあります。
遊具の近くに「長谷川 潔 画伯の碑」がありました。
横浜市出身の版画家で、日本およびフランスで活動。
1980年9月に開催された国際ロータリー第ニ五九地区大会を記念してこの碑を横浜市民に贈ると記載。
※長谷川潔画伯について、碑に詳しく書いてあります。
上写真の右手にトイレ、交番があり、左手には「横浜橋通商店街」が見えてきます。
上写真左に見えるアーケードが「横浜橋通商店街」。
公園散歩のついでに、商店街にも寄り道ができます。
ここから先は「阪東橋駅」に向かいます。
故・桂歌丸師匠の名が付いた「歌丸桜」もあります。
さらに横浜大空襲の「平和祈念碑」がありました。
横浜戦災遺族会により建立されています。
最終地点に到着。
市営地下鉄「阪東橋駅」2番口です。
この先、公園を出てすぐの場所に、首都高速「阪東橋」出入口があります。
まとめ
大通り公園の端から端までを歩いてみました。
部分的には時々散歩しますが、はじめて全部を歩いたら、新たな発見があり楽しかったです。
関内駅南口の横浜スタジアムがある横浜公園にくらべると地元民以外は知名度低いかも。
大通り公園といえば、多くの方は札幌をイメージしてしまいますよね。
こちらは、横浜の大通り公園です(笑)。
昔は川だったこともある歴史を知って散策すると、興味深い散歩コースになるのではと思います。
大通り公園の情報
- 名称:大通り公園
- 住所:横浜市中区長者町5-55-2