馬車道は横浜が開港したことで、外国人居留地が置かれていた場所です。
当時馬車が往来していたことで「馬車道」と呼ばれるようになりました。
外国文化の玄関口であり、この地ではじまった日本発祥もいくつかあります。
残された歴史的建築物や記念碑、彫刻など歴史の面影を探して散策してきました。
馬車道の行き方
レンガ歩道の馬車道通りは、ガス灯、馬のモチーフがいたるとろで発見できます。
異国文化あふれる場所を観光気分でめぐります。
「馬車道駅」を降りて、地上に出たところから出発!
交通アクセスについて
みなとみらい線「馬車道駅」又はJR・市営地下鉄「関内駅」から近いです。
赤いくつ周遊バス又はピアラインバスで「馬車道」又は「横浜第二合庁舎前」下車でもOK!
※上記バスの始発は、JR桜木町駅前バスターミナル4番乗り場。
JR桜木町駅から歩いてきた場合、徒歩7~8分。
ガス灯のあるアーチ(門)が目印の馬車道通り。
アーチをくぐってから、振り返って写真を撮って見ました。
みなとみらい新港地区からも近いです
十字路の道路の先に見える赤レンガの建物は、横浜第二合同庁舎(旧横浜生糸検査所)。
奥のうっすら見える白い高層タワーは「アパホテル&リゾート横浜ベイタワー」。
その先に万国橋があり、みなとみらい新港地区に行けます。
馬車道の案内地図
馬車道通りの場所
万国橋付近(みなとみらい新港地区に行く橋)~吉田橋(関内駅近くの関門のあった場所)まで。
メインの馬車道通りは、馬車道駅と関内駅に挟まれた間のとこです。
馬車道の通りには、歴史建築や記念碑、モニュメントなどがあちこちにあります。
ぶらり散策するには最適です。
みなとみらい線「馬車道駅」から行く場合
みなとみらい線「馬車道駅」の5番出口(馬車道口)がおすすめ。
ちょうどアーチを入ったとこの馬車道通りに出れますよ。
目の前は、神奈川県立歴史博物館があります。
JR・市営地下鉄「関内駅」から行く場合
・JR「関内駅」北口改札から右側の通りに出ます。
桜木町駅方向に進んで行けば、馬車道通り着きます。
・市営地下鉄「関内駅」は出口がたくさんありますが、8番出口あたりがおすすめ。
馬車道付近の歴史建築めぐり
まずは、歴史建築を紹介します。
馬車道通りにあるのと、少しだけ外れた場所にある建物とがあります。
横浜第2合同庁舎(横浜市認定歴史的建造物)
最初の写真で、アーチの外側にあった建物です。
大正15年(1926)に建設された、旧横浜生糸検査所。
設計者は、遠藤於菟(えんどう おと)。
日本の鉄筋コンクリート技師の先駆者の一人で、横浜税関倉庫の建設にも関わっています。
現在の建物は、外観が復元されています。
*正面玄関の上部に蚕が孵化した蛾の紋章
*柱上部に生糸をモチーフにしたレリーフ
YCCヨコハマ創造都市センター(横浜市認定歴史的建造物)
こちらもアーチの外側で、真下は「馬車道駅」。
馬車道通りからは外れていますが、近くにあります。
昭和4年(1929)に建設された旧第一銀行横浜支店を移築・復元しています。
昭和55年(1980)は横浜銀行本店別館となる。
現在は、高層オフィスビル横浜アイランドタワーの一部となっている。
YCCヨコハマ創造都市センターとしてアーティストたちのクリエイティブ活動の拠点。
*半円形バルコニー(トスカーナ式オーダーの列柱が並んでいる)
※トスカーナ式オーダーとは、古代ローマの建築様式
典型的な震災復興時の銀行建築なんだとか。
旧富士銀行横浜支店(横浜市認定歴史的建造物)
馬車道駅側の十字路のとこ、アーチの真横にあります。
昭和4年(1929)に旧安田銀行横浜支店として建設。
昭和23年(1948)に富士銀行と改称。
現在は、東京芸術大学大学院映像研究科のキャンパスとして活用。
*戦前の古典主義様式の銀行建築の典型といわれる
*ルスティカ積みの外壁に、ドリス式オーダーの付柱と半円形窓が組み合わされて配されている
*安田銀行は大正末期から昭和初期にかけて、各地にほぼ同じスタイルの支店を建てる
この建物はそのなかでも最大規模かつ希少な現存例。
旧東京海上火災保険ビル(横浜市認定歴史的建造物)
旧横浜富士銀行横浜支店のすぐ隣です。
昭和11年(1936)に旧東京海上火災保険ビルとして建設。
現在は馬車道大津ビル(民間オフィスビルとして使用)。
*シンプルな外観でありながら、壁面を覆うタイルの多様な貼り方を主たる意匠とする
アール・デコ特有のスタイル(特に壁頂部の表現は典型的)
神奈川県立歴史博物館(国の重要文化財)
旧東京海上火災保険ビルの斜め前方にあります。
横浜の代表的な歴史建造物なので、ぜひ見ておきたいし、記念に写真を撮りたい建物です。
明治37年(1904)に横浜正金銀行の本店として建設。
設計者は、妻木頼黄(つまき よりなか)。
明治大正期に活躍した建築家で、代表作の1つ。
工事監督は旧横浜生糸検査所を設計した遠藤於菟。
昭和44年(1969)に国の重要文化財、平成7年(1995)に国の史跡に指定。
現在は神奈川県の歴史について学べる博物館として活躍しています。
*正面及び両側隅に大きなペディメントを設けている
*壁面は窓ごとに大オーダーの柱形を出してバロック的効果を強調
損保ジャパン日本興亜横浜馬車道ビル(横浜市認定歴史的建造物)
神奈川県立歴史博物館の隣です。
大正11年(1922)旧川崎銀行横浜支店として建設。
設計者は、矢部又吉(やべ またきち)。
旧横浜正金銀行の設計者である妻木頼黄の弟子。
昭和61年(1986)に取り壊される予定も、現在は一部壁面として姿を残す。
横浜市認定歴史的建造物の第1号。
*下だけ残したかさぶた建築で、歴史建造物を保存している
旧東京三菱銀行横浜中央支店(横浜市認定歴史的建造物)
馬車道通りの反対側の通り(本町通りと関内大通りの角地)にあります。
日本大通り駅に向かう方面にあり、近いので紹介。
昭和9年(1934)旧東京三菱銀行横浜中央支店として建設。
設計者は、矢部又吉。
現在は高層マンションになっています。
日本興亜馬車道ビルと同様で、かさぶた建築。
横浜指路教会(横浜市認定歴史的建造物)
馬車道の通りから少しだけ離れたとこにあります。
馬車道駅から馬車道通りを歩いてきた場合、最後のアーチを出たら右に進みます。
尾上町(おのえちょう)という大きな通り。
JR関内駅~桜木町駅の中間ぐらいの位置にあり、大江橋(大岡川)の手前。
明治7年(1874)に、宣教師ヘンリー・ルーミスを初代牧師として教会が設立。
現在の教会は、大正15年(1926)に建設されている。
「指路(しろ)」という名前の由来は、
安政6年(1859)に日本を訪れた宣教医J.C.ヘボンの母教会の名「Shilon Church」からきている。
日本最初期のプロテスタント教会の1つ。
*ノートルダム大聖堂に似たフランス初期のゴシック風
片方の塔を欠いているのは、震災で壊れた先代ノロマネスク風教会堂にならったものと思われる。
馬車道からはじまった発祥!記念碑や彫刻など
横浜は発祥の多い場所でありますが、ここ馬車道にもいくつかあります。
おもな見どころを紹介!
英国製馬車
神奈川県立歴史博物館の目の前にある「ホテル ルートイン横浜馬車道」の建物内にあります。
入口付近なので、入って見学することが可能。
当時馬車道を走っていたといわれるイギリス製の馬車を再現したもの。
クラッシックで格調高い赤を基調にした木製。
西洋貴婦人たちが乗った乗合馬車が行き交う、昔の馬車道を想像してみるのもいいかも。
「馬車道まつり」のイベントのときなどに活躍しています。
日本写真開祖の地
博物館の隣の日本興亜馬車道ビルの目の前にあります。
文久2年(1862)下岡蓮杖(しもおかれんじょう)が写真館を開業。
伊豆下田生まれ。絵師を目指していたときに銀板写真に出会う。
来日の外国人から湿板写真の機材を入手し、辛苦の歳月を経て技術を取得。
横浜の地に写真館を開きました。
横浜野毛に最初の店を出し、その後馬車道周辺にお店を出す。
当初のお客は外国人だったが、次第に日本人も増えて繁盛したそうです。
数多くの門下生を育て、日本の写真技術の先覚者として近代文化の発展に貢献。
晩年は浅草に移り住んでいます。
日本最初のガス灯の碑
関内ホールの建物壁面にあります。
明治5年(1872)高島嘉右衛門がガス会社を設立。
大江橋から馬車道、本町通りにかけて日本で最初のガス灯が点灯される。
※ガス事業として日本初です。
壁面レリーフは明治末期の馬車道で、横浜開港資料館に所蔵されている絵葉書を転写したもの。
当時の型を復元したガス灯が碑の両側に立っています。
日本ガス協会は10月31日をガスの記念日としています。
馬車道通りにはイギリスから来たガス灯が4基あります。
日本で最初のガス灯が馬車道に灯されたことを記念して設置されました。
アイスクリーム発祥の碑(太陽の母子像)
「リッチモンドホテル横浜馬車道」の近くにあります。
ただの彫刻に見えますが、なんとアイスクリーム発祥の碑!
明治2年(1869)町田房造が馬車道に氷水店を出し、あいすくりんとして売り出した。
これがアイスクリームのはじまりとされる。
昭和51年(1976)に日本アイスクリーム協会が像を寄贈。
お母さんと子供がミルクを連想させ、アイスクリームに繋がっているようですね。
日本アイスクリーム協会は、毎年5月9日をアイスクリームの日としています。
近代街路樹発祥の地
JR・市営地下鉄「関内駅」の近くです。
「関内駅」から馬車道を散策するなら、この辺りから出発。
慶応3年(1867)年頃、美しい景観づくりの為に各商店が通りに沿って柳や松を植えたそうです。
近代街路樹の先駆けとして記念碑を建てています。
右奥に見えるガス灯は、イギリスからきたガス灯のうちの1基。
ロンドンの中心的存在であるトラファルガー広場にあるガス灯と同じもの。
馬車道と関内の名前の由来について
みなとみらい線「馬車道駅」からJR線「関内駅」に向かって散策してきました。
いよいよ最終地点に到着です。
馬車道の側にあるJR「関内駅」の辺りはなぜ関内というのか?
吉田橋関門跡を見ることで、その素朴な疑問の歴史が発見できます。
関内駅の近くには吉田橋があり、開港当時は関門がありました。
開港場から関門に至る道には馬車が行き交うようになります。
当時の人々は、その光景を見て「異人馬車」と呼んだそうです。
馬車の通る道=馬車道となり、名前が定着する。
鉄の橋(吉田橋)
JR「関内駅」近くの高架下にあります。
鉄の橋(かねのはし)とは?
明治2年(1869)英国人土木技師R.H.ブラントンの設計により架け替えられる。
日本最初のトラス構造の鉄橋。
「鉄の橋」として市民に親しまれる。
現在の高欄は鉄の橋をイメージして復元したもの。
吉田橋と呼ばれるのは、吉田新田から架橋されたことで名付けられたそう。
※この辺はかつて入海だった場所。新田開発の為、吉田勘兵衛が中心となって埋め立てました。
吉田橋関門跡(よしだばしかんもんあと)
高架下を通り抜けたら吉田橋があります。
鉄の橋と呼ばれた吉田橋には、関門跡の碑が置かれています。
開港直後、幕府は横浜開港場を作りました。
開港場の出入り口として吉田橋が架けられます。
その際、橋に関門を設置し外国人居留地であった開港場の治安を図ったそうです。
関門を境として海側が「関内」、陸側を「関外」と呼びました。
(関内→馬車道側、関外→伊勢佐木町側)
明治4年に関門は廃止となり、関内という名が残ります。
以上、馬車道めぐりでした!吉田橋の先はイセザキ・モールになります。
まとめ
馬車道をじっくり散策してみて、文明開化時代に浸ることができました。
普段は素通りしてしまう歴史建築や記念碑ですが、改めて歴史を知るのは楽しかったです。
横浜の観光エリアとして、みなとみらいや中華街に人気が集中している印象があります。
馬車道はまた違う特色の街並みや歴史に触れることができる観光スポットです。
まだ行ったことがなければ、ぜひ散策してみてください。
*馬車道商店街オフィシャルサイト