横浜にある野毛山動物園は有名ですが、動物園のまわりの公園も散策スポットです。
歴史も古く、関東大震災による震災復興事業として大正15年(1926)に開園しました。
野毛山公園は、散策地区、野毛山動物園、展望地区と3つに分かれています。
動物園を含めて、ピクニックやハイキング目的で巡るのもいいかも知れません。
どんな場所なのか見どころを紹介!歴史にも注目しながら歩きまわってきました。
野毛山公園のアクセス
桜木町駅を境に、みなとみらいの反対側の野毛地区の高台にあります。
京浜急行線「日ノ出町駅」徒歩約5分。
※公園入口までの時間です。動物園までだともう少しかかります。
どちらも駅から歩いて行けます。
桜木町駅南改札を出て、西口(野毛地区)側へ。
野毛ちかみち地下道を抜け、南1出口から地上に出る。
動物園通りを抜けたとこにある、野毛坂を登って行く。
途中の交差点を渡り、横浜中央図書館を横目に登れば野毛山公園入口に到着。
桜木町駅からのさらに詳しい行き方は、動物園記事の方で説明しています。
分からなければ読んでみてください。
野毛山公園の地図
まずは、地図を見て公園全体を把握。
野毛山公園は桜の時期もおすすめです。
地図のピンク色の花マークのところは、桜の時期のお花見スポットです。
動物園も公園に含まれていますが、こちらの記事では散策地区と展望地区を紹介します。
1、散策地区は、森林の中を歩ける静かな場所
散策地区からハイキングスタート!
写真右手の階段から登っていきます(道路挟んで隣に、横浜中央図書館があります)。
左の道を進むと、散策地区をカットして動物園に行く近道です。
でもちょっと遠回りでも、森林浴をしながら行くのは気持ちいいですよ。
ハイキングしながら歴史発見!
階段を登るとまず最初に中村汀女の句碑があります。
昭和の著名な女流俳人で、日常を題材にしながらも叙情性に富む句で知られる。
大正8年(1919)19歳のときに「ホトトギス」に投句し、俳句を始める。
その翌年に結婚。夫の転勤、子育てで創作活動を中断せざるをえなくなる。
昭和5年(1930)夫が横浜税関長となり横浜(西戸部町)に移り住んだときに再開。
高浜虚子に師事し、「ホトトギス」の同人となって頭角を現す。
戦後「風花」を創刊主宰。のちの女流俳人に多大な影響を与える。
熊本生まれであることで、故郷を愛し熊本市の名誉市民です。
野毛山で俳句を詠んだことで、句碑があるんですね。
ラジオ塔なんてのもあります。
日本放送協会が、ラジオ聴取契約者100万人を超えた記念に全国の公園41か所に建てたうちの一つ。
横浜開港を唱えた人物・・佐久間象山の顕彰碑
信濃(長野県)松代藩士。
洋学研究、兵学を学び、大砲やガラス製造を手がけるなど西洋技術・学問を積極的に取り入れていた。
嘉永5年(1852)江戸の幕府に、戦略上の観点から横浜の開港を提言する。
元地元年(1864)京都に赴いたときに開国派の象山は、攘夷派(鎖国派)によって暗殺される(享年54歳)。
象山の門弟は、開国派中心の勝海舟、坂本龍馬、吉田松陰など。
日本の近代化を支えた立役者。
静かな池
園内には道の分岐がいくつかありますが、好きに歩いて森林浴を楽しんじゃおう。
ちょっとした池もあります。
鳥が遊びに来て、泳いでいることも!
昔はここに噴水があったのですが、公園を整備してからなくなりました。
近くにはトイレもあります。
また池の前は、散策地区を通らないで動物園に行く道とも合流しています。
遊具場(散策地区)
ちょっと奥まったとこまで行く必要がありますが、遊具のある子供の遊び場。
アスレチック風ですが、そんなに広くはないです。
もう目の前は道路挟んで動物園なので、動物の鳴き声が聞こえてきます。
大人だけなら少し離れてるし、あえて寄らなくていい場所です。
散策地区終了!
2、展望地区は、展望台と広々とした芝生があります
次は、つり橋を渡って展望地区にレッツゴー!
散策地区は動物園に行く道中だから寄りますが、展望地区はなかなか行かないんですよね。
昭和46年(1971)に開通の、柳宗理(やなぎ そうり)がデザインした野毛のつり橋。
つり橋の下をくぐれば、野毛山動物園の入口に到着。
動物園と遊園地(当時は展望地区に遊園地があった)が道路を挟んで、二分されている状況。
子供たちに交通時の危険があると市民の訴えで設置される。
橋の名称は、市内の小中学生から募集。
「野毛の橋」と「つり橋」を合成して「野毛のつり橋」となる。
ここは近代水道発祥の地
つり橋を歩いていると、左手に見えるのは旧野毛山配水地(立ち入り禁止地区)です。
水道みちがあったらしいよ!
明治20年(1887)10月、日本最初の近代水道が横浜に誕生。
津久井郡三井村(現・相模原市緑区三井)~横浜村の野毛山上水場(横浜市西区)まで約44km。
当時トロッコで、鉄管などの資材を運搬して水道管を敷設したそう。
さらに進んで行くと、日本初の近代水道である横浜水道を完成させたヘンリー・スペンサー・パーマーの碑があります。
横浜水道を設計者・監督したイギリス人H.S.パーマー。
当時の横浜は埋立地が多くて良い水がなく、飲み水や伝染病に苦しめられていたそうです。
パーマーは横浜の他に、大阪、神戸、函館、東京などの水道計画にも貢献。
野毛山公園展望台
丘の上の公園だから、展望も気になりますね。
展望台が見えてきました。
手前は、競技会場地記念碑(彫刻家、堀野秀雄氏製作)。
昭和39年(1964)の東京オリンピックの予選が、横浜で行われたことを記念したもの。
展望台頂上の眺望です。
みなとみらい方面は、ランドマーク、観覧車が見えます。
ベイブリッジも少しだけ見えますね。
展望台には、横浜のまちづくり(開港と町の広がり)についての説明板もあり、ちょっとだけ開港横浜について知ることができます。
バスケが出来る場所も!
園内には、バスケットボールコートもあります。
※4月8日から当面の間、閉鎖。
近くの利用表にグループ名を記入してから利用する。
・利用時間は、1グループ60分。
5/1~8/31 9:00~18:00
9/1~4/30 9:00~17:00
・休場日は、年末年始(12/29~1/3)、施設点検日など。
※連続利用は禁止も、利用したあとに空いていれば、再度記入してからの利用は可能。
バスケットコートの近くに「バラの花壇」があります。
芝生広場からの景色
広々とした芝生の広場があります。
ここで、シートを敷いてゴロンと寝たい。
遠くには、みなとみらい地区のランドマークタワーが見えます。
遊具場(展望地区)
芝生広場の先にある階段やスロープで下に降りると、子供が遊べる遊具広場に着きます。
滑り台やブランコ、鉄棒などあります。
散策地区の遊具場よりは、広々としていますね。
野毛山公園の歴史を紹介
大正14年(1925) 関東大震災復興事業で公園を建設。
大正15年(1926) 日本庭園、西洋庭園、和洋折衷庭園が造られ一般公開される。
昭和24年(1949) 日本貿易博覧会の第一会場となる。
昭和26年(1951) 児童遊園「野毛山遊園地」を開園。
昭和39年(1964) 遊園地を閉園したのを機会に、野毛山動物園が無料になる。
その後、 展望地区には「どうぶつ広場」ができる。
「どうぶつ広場」は、子供の頃に遊んだことがあるよ。
平成23年(2011) 再整備を行い、現在に至る。
まとめ
野毛山に遊びに行く場合、やっぱり動物園がメインになってしまいます。
なので、動物園と一緒にハイキングコースとして楽しむのがいいと思います。
例えば
*行き桜木町駅から徒歩→散策地区→野毛山動物園→展望台地区→帰り徒歩又はバス。
*行き横浜駅又は桜木町駅からバスで動物園前→動物園→展望地区→散策地区→徒歩で駅まで。
なんて、好きにコースを設定できます。
お花見、新緑、紅葉の季節はとくにおすすめです。
公園の情報
- 名称:野毛山公園
- 住所:横浜市西区老松町63-10(野毛山動物園の住所になります)
- 野毛山動物園(公園地図あり)公式サイト