横浜山手「キリン園公園」はキリンビール発祥地の記念碑あり!工場跡地で知る歴史

横浜山手「キリン園公園」にある「麒麟麦酒開源記念碑」全体の様子

横浜山手の「キリン園公園」を散策してきました。
公園内には、キリンビール発祥地であることが分かる記念碑(麒麟麦酒開源記念碑)があります。
山手は日本のビール産業としての発祥地でもあります。
近くの北方小学校には、当時のビール井戸も展示。
行き方、ビールに関する歴史などを見てきたので紹介します。

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キリン園公園の場所と行き方

横浜山手にあります。
山手本通りの人気観光エリアから行く方法を紹介。

横浜山手「キリン園公園」に行くための地図

みなとみらい線「元町・中華街駅」6番出口より、アメリカ山公園経由で元町公園へ。

上写真印のある「元町公園」前の坂を下って、キリン園公園に行ってみました。
ちなみに「港の見える丘公園」側から坂を下っても行けます。

キリン園公園は、ビヤザケ通り沿いにあります。

横浜山手「元町公園」のエリスマン邸

元町公園内にある西洋館「エリスマン邸」

元町公園のエリスマン邸前から行くと、分かりやすい。

山手本通りがある元町公園周辺は、山手の洋館が集まっている人気エリアです。

横浜山手「元町公園」エリスマン邸前の景色(キリン園公園へ行く坂)

元町公園前の坂

上写真の坂を下ります。

横浜山手の坂と「北方小学校」(キリン園公園に行く道中)

北方小学校

坂を下ると、目の前に「横浜市立北方小学校」があります。

上写真を右に進むと「キリン園公園」。
左に進むと「北方小学校」のビール井戸あり。

横浜山手「キリン園公園」外側から見た公園の様子

キリン園公園

しばらく道なりに進むと、北方小学校の隣にある「キリン園公園」に到着。

公園前に「サンモール・インターナショナルスクール」もあります。

途中バス停(北方小学校前)もありました。

横浜山手「キリン園公園」公園内の様子

園内をのぞくと遊具の他に、何やら大きな石碑が見えます。

行き方は他にもあり、本牧通り側からも行けます。

キリン園公園とキリンビールの歴史

公園入口には、公園名「キリン園公園」と書いてあります。

横浜山手「キリン園公園」入口の様子

あれはいったい何?と思ってしまう、巨大な石碑。

公園の遊具は、ブランコ、滑り台、砂場がありました。
横浜山手「キリン園公園」にある「麒麟麦酒開源記念碑」全体の様子

「麒麟麦酒開源記念碑」

目の前に行くと、さらに迫力満点!

麒麟麦酒開源記念碑

横浜山手「キリン園公園」にある「麒麟麦酒開源記念碑」と刻まれた文字

一番上に「麒麟麦酒開源記念碑」と記されています。

横浜山手「キリン園公園」にある「麒麟麦酒開源記念碑」の案内板

記念碑の説明文を読んで、歴史をまとめてみました。

歴史メモ
  • 明治3年(1870)
    ウィリアム・コープランド(ノルウェー生まれのアメリカ人)は、横浜・山手にビール醸造所「スプリング・バレー・ブルワリー」を設立。
    日本で初めて、産業として継続的にビールの醸造・販売を行う
    コープランドはその功績から「日本のビール産業の祖」と呼ばれる
  • 明治18年(1885)
    「スプリング・バレー・ブルワリー」の建物と土地は、日本在住の外国人経営の会社「ジャパン・ブルワリー」に引き継がれる。
  • 明治21年(1888)
    「キリンビール」が発売される。
  • 明治40年(1907)
    「ジャパン・ブルワリー」の事業を引き継ぎ、麒麟麦酒株式会社が創立

麒麟麦酒株式会社の前身が、ジャパン・ブルワリー・カンパニーです。
大正12年(1923)関東大震災で倒壊するまで、この地においてビールを醸造。
石碑は、この地がキリンビール発祥の地であることを記念して、昭和12年(1937)に建立

※石碑建立当時は「スプリング・バレー・ブルワリー」の設立は明治5年(1872)とされていましたが、その後の調査で明治3年であることが判明と記載あり。

ちなみに明治2年(1869)、横浜山手46番地に日本で最初のビール醸造所「ジャパン・ヨコハマ・ブルワリー」が開設されていますが、明治7年(1874)閉鎖。
明治初期の横浜山手には、いくつかビール醸造所があったようです。
長く続き商業的に成功したのが「スプリング・バレー・ブルワリー」です。
横浜山手「キリン園公園」にある「麒麟麦酒開源記念碑」案内板にあるジャパン・ブルワリーとキリンビール山手工場の写真

当時の建物の様子も、写真で確認できます。

*(左)明治18年頃の「ジャパン・ブルワリー」
*(右)明治40年頃の「キリン麦酒山手工場」

また記念碑の案内板の下には、キリンビール工場跡から掘り出されたというレンガもあります。

横浜山手「キリン園公園」にある「麒麟麦酒開源記念碑」案内板と工場跡から掘り出されたレンガ(表側)

レンガ(表側)

横浜山手「キリン園公園」にある「麒麟麦酒開源記念碑」案内板と工場跡から掘り出されたレンガ(裏側)

レンガ(裏側)

キリンビール工場跡から掘り出されたというレンガをじっくり観察しました。

文化遺跡

横浜山手「キリン園公園」にある文化遺跡「日本最初の麦酒工場」の碑

公園の端にも、ひっそりと遺跡あり。

横浜山手「キリン園公園」にある文化遺跡「日本最初の麦酒工場」の碑

文化遺跡「日本最初の麦酒工場」の碑

横浜山手のビールの歴史は、日本で最初にビールを作ったのではありません。
日本のビール産業としての発祥の地であり、キリンビール発祥の地でもあります。

旧「麒麟園」の門

横浜山手「キリン園公園」の外側にある麒麟園と刻まれた門柱

キリン園公園の外側(道路側)に、昔の入口と思われる痕跡を発見。

門柱には「麒麟園」の文字が刻まれています。
草に覆われていましたが、石の階段も見えました。

北方小学校にあるビール井戸

北方小学校には、ビール井戸が展示

横浜山手「北方小学校」のビール井戸(柵からの眺め)

柵の中にある井戸を見つけました。

通り沿いにあるので、構内に入らなくても見学できます。

横浜山手「北方小学校」のビール井戸と案内板

ビール井戸の横に、ビール井戸の案内板があり読むことができます。

横浜山手「北方小学校」のビール井戸について書かれた案内板

案内板を読むと、キリンビール株式会社が寄贈

この地に日本で最初のビール工場が建設されました。
いま校庭になっているところには清水のわき出る池があって、キリンビールは1888年からここでつくられていました。
そのころは横浜市の水道がまだここまで引かれていなかったので、井戸水を使ってビールがつくられました。
この井戸は1895年から1901年までビールづくりに使われたものです。

(参照:ビール井戸の案内板)

豊富に水の湧く「天沼」と呼ばれる土地だったそう。

横浜山手「北方小学校」のビール井戸

ビール井戸

昔、井戸水でビールがつくられていたという井戸です。

ハマくま
かつてキリン園公園、北方小学校のある一帯で、ビールが醸造されていたのですね。
現在のキリンビール横浜工場は、横浜市鶴見区生麦にあります。

その他、横浜山手とビールの痕跡

キリン園公園、ビール井戸の他に、山手に残されたビールの歴史を探してみました。

横浜外国人墓地

横浜山手「横浜外国人墓地」横浜外国人墓地資料館の外観

横浜外国人墓地資料館

横浜山手の山手外国人墓地に、ウィリアム・コープランドのお墓があります。

外国人墓地にある資料館でも知ることができ、梅子夫人とともに眠ると記載されていました。

近くの「山手資料館」にも資料があります。

元町・中華街駅の構内

みなとみらい線「元町中華街駅」元町側のエスカレーターと山手のビール工場(昔)の写真

みなとみらい線「元町・中華街駅」は、「本」の駅がコンセプト!

横浜開港当時の歴史に関わるガイドブックのようになっている駅。
「横浜開港資料館」より提供された、当時の風物絵葉書が色々プリントされています。

山手のビール工場もありました。

駅構内、元町方面のエスカレーターを利用すると見ることができます。

ハマくま
まだ他にもありそうですが、散策途中に見つけたものを紹介しています。

まとめ

山手にキリン園公園があったことを思い出し、かつて山手にあったビール醸造所、キリンビールの歴史を深堀りしてみました。
山手の人気観光スポットから少しだけ外れるので、観光客はあまり行かない場所です。
横浜のビールの歴史に興味がある場合は、散歩がてら寄り道するのもよいかも知れません。

ハマくま
横浜山手は、キリンビールの歴史に触れることもできる場所でもあります。

公園の情報

  • 公園名:キリン園公園
  • 住所:横浜市中区千代崎1丁目25-3

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