掃部山公園のアクセスと歴史を紹介!桜や紅葉の季節にまた訪れたい場所

井伊直弼の銅像とランドマークタワー

桜木町駅から近い、紅葉坂を登ったところにある掃部山公園(かもんやまこうえん)。
大正3年(1914)に開園しました。
園内には、横浜開港にかかわりのあった井伊直弼の銅像が立っています
春は桜の名所としても知られており、秋の紅葉もなかなか良いです。
そばには、横浜能楽堂もあります。
久々に公園散歩をしてきたので、行き方や公園の歴史などを紹介します。

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掃部山公園のアクセス

公園までは、JR桜木町駅より徒歩約15分。

桜木町駅西口側の遊歩道方面

奥に遊歩道があります。

北改札から西口側に出ます。

まずは上の写真の景色の方面に進み、紅葉坂を目指します。

紅葉坂に行くまでのコースは2つ
*旧東急東横線の高架下を国道16号沿いに歩いて行く。
*旧東急東横線の跡地の遊歩道を歩いてい行く。

遊歩道のほうが、短い距離ではありますが、眺めが良いので楽しいよ。

紅葉坂の景色

紅葉坂

遊歩道は、現在は紅葉坂のところまでで終了。

写真の交差点を渡り、その先にある紅葉橋を渡ります。
そして、紅葉坂を登ります
※右側の歩道が、公園側です。

紅葉坂の歴史メモ(由来)
明治5年(1872)に命名。
野生の楓(カエデ)が繁る美しい山であった。
神奈川奉行所が置かれた際、坂の両側に紅葉(モミジ)を植樹。
紅葉坂、紅葉橋の名称が付く。
大正以後は、桜の美しい坂に姿を変える。
しかし、桜は関東大震災により焼失。
現代になり、再び楓、紅葉が植えられている。

一直線に続く坂で急こう配ですが、頑張って登ります。

神奈川県立青少年センターや音楽堂の風景

ポストのある道を進めば到着。

坂を上っていくと、右手に赤いポストが見えます。

この辺りは県立青少年センター、県立図書館、県立音楽堂がある場所です。

右折し、ポストの道をまっすぐ歩くだけ。
県立音楽堂のある脇道を進むと、公園に到着します。

掃部山公園の正面入り口

掃部山公園の正面入り口

突き当りは掃部山公園の、正面出入口です。

到着しました~。

公園入口のとこには、ベイバイク(レンタル自転車)置き場があります。

園内マップ

掃部山公園の案内地図です。

掃部山公園の園内地図

公園の出入り口は全部で4ヶ所(メインは3ヶ所)。

1、正面出入口(県立音楽堂側)
2、岩亀横丁(がんきよこちょう)側出入口
3、戸部通り(とべどおり)側出入口
4、横浜能楽堂の横階段

桜木町駅から来た場合は、正面出入口が便利です。

銅像広場は小高い場所にありますが、日本庭園や遊具広場は坂を下って行きます。

掃部山公園の歴史と由来

簡単に公園の歴史を知ろう!

江戸時代までは、海に面した高台で不動山と呼ばれていた。

明治初期に日本初の鉄道が、旧横浜駅(現在の桜木町駅)~新橋駅に開通。
携わった外国人技師の管舎が建てられ、鉄道事業の拠点となる。
開業後もこの山の地下水が、鉄道用水に使われたことなどから鉄道山と呼ばれるようになる。

井伊掃部頭ゆかりの地の説明板

井伊掃部頭ゆかりの地

明治17年(1884) 旧彦根藩士が買い取り、井伊家の所有となる。
明治42年(1909) 横浜開港50年記念に井伊直弼の銅像が建立される。

掃部山の由来!
直弼の官位である掃部頭(かもんのかみ)から掃部山と呼ぶようになりました。

大正3年  (1914) 井伊家より横浜市へ寄付されたことで、公園として整備し開園。
大正12年(1923) 関東大震災に見舞われるも、被害なく台座の上下がずれただけで済む。
昭和18年(1943) 第二次世界大戦中は、政府の金属回収指示によって銅像は撤去。
昭和29年(1954) 横浜開港100年を記念して横浜市が再建。
平成8年  (1996) 公園の一角に横浜能楽堂が建設される。

ハマくま
不動山→鉄道山→掃部山と3回も呼び名が変わったんだね。

掃部山公園の見どころ

園内をぐるり一周してきました。

井伊直弼(いいなおすけ)の銅像

銅像広場の奥にあります。

昔は、横浜港を見下ろすように立っていました。

現在はみなとみらいのビル群があるので、港は見えないです。

井伊直弼の銅像とランドマークタワー

井伊直弼の銅像とランドマークタワー

みなとみらいを見つめる井伊直弼の像が撮影できました。

銅像は台座を含め11メートル。

井伊直弼について
近江彦根藩(滋賀県)の第15代藩主で、幕末期の江戸幕府にて大老を務める。
日米修好通商条約を締結し、日本の近代化を進める。
反対勢力を弾圧(安政の大獄)。
桜田門外の変で、暗殺された歴史人物。

横浜開港に貢献したこと、井伊家があったことで銅像が建立されたようです。

井伊直弼の銅像の正面

正面から見た井伊直弼の銅像

最初に竣工したのは、明治42年(1909)。

横浜の開港50周年記念で建立され、戦争中の金属回収で撤去。
開港100周年に再建されたという、記念行事の一環となった銅像ですね。

台石に注目!
台座部分は建立当時からあるということで、横浜市認定歴史的建造物です。

台座は妻木頼黄(つまきよりなか)の設計。

妻木頼黄が設計した横浜の建物
*旧横浜正金銀行本店(現・神奈川県立歴史博物館)
*旧横浜新港埠頭倉庫(現・赤レンガ倉庫)

水泉(すいせん)

銅像のすぐ側にあります。

獅子の頭のついた水飲み場

初代銅像が建立されたときに設置されたもので、こちらも横浜市認定歴史的建造物。

井伊直弼の子供である井伊直安(いいなおやす)が設置。

現在、水はまったく出ていません。

飯岡幸吉の歌碑

銅像広場から、日本庭園に行くための坂を下る途中にあります。

飯岡幸吉の歌碑

飯岡幸吉は横浜市西区花咲町出身で、横浜を代表するアララギ派の歌人。

大きな石のプレート部分に歌碑が刻まれています。

まちなかに 緑をたもつ掃部山
ましてや虫を聴く夜たのしき

「虫の音を聞く会」にちなんで設置。

掃部山公園では毎年、「虫の音を聞く会」を開催。
※昭和40年(1965)からはじまった行事で、毎年8月(後半頃)にあります。
野外での茶会(野点)、琴、尺八の演奏、鈴虫の販売、模擬店などで賑わいます。

茶道や伝統芸能にも通じていた井伊直弼をしのんで開催され、今では夏の風物詩となっています。

日本庭園が落ち着く

井伊直弼像のあるところから、坂を下っていくとあります。

掃部山公園の日本庭園

日本庭園

池や石灯籠があり趣を感じます。

ここは紅葉の季節になると、葉っぱが赤や黄色に色づいてきれいです。

東屋のベンチでひと休み。

小さい滝が流れている

散策していると細い道があり、その先に小さい滝が流れていました。

晴れた日の散策は、気持ちが良いです。

遊具広場

日本庭園の近くには、子供の遊び場があります。

遊具広場戸部側の入り口に近い場所。

広場には、すべり台やブランコなどがあります。

みなとみらいが見える展望スポット

ちょっとした展望が見える場所。

公園から見るみなとみらいの展望

正面出入口から、遊具広場に行く坂のところにあります。

みなとみらい方向が見えます。

ランドマークタワーをはじめとするビル群の景色。

横浜能楽堂

公園の外側ですが、横浜能楽堂があります。

横浜能楽堂の外観

関東地方で、最古の能舞台です。

明治8年(1875)東京・根岸の前田斉泰邸(旧加賀藩主邸)に建てられたもの。
大正8年(1919)に東京・染井の松平頼寿邸(旧高松藩主邸)に移築された「旧染井能舞台」を復元。

現在は、横浜市指定有形文化財に指定されています。

ハマくま
見学できるみたいなので、いつか行きたいな!

桜の名所です

掃部山公園といえば、お花見スポット!

園内には約200本の八重桜が植えられているそうです。

100年前の昔の掃部山公園の花見風景

昔の花見の様子が紹介されていました。

いつもは静かな掃部山公園ですが、桜の季節は賑わいます。

毎年ではありませんが、こちらでお花見を楽しむ年もあります。

▼お花見レポ▼

掃部山公園の桜と井伊直弼像

【桜木町・野毛のお花見】掃部山&野毛山公園、動物園、伊勢山皇大神宮、大岡川と桜満喫

2021年3月28日

まとめ

桜が満開になる時期以外は、割と静かな公園です。
近隣の住人が散歩をしたり、子供が遊具で遊んでいる一般的なほのぼのとした公園です。
井伊直弼の銅像がメイン的存在なので、歴史を知って訪れるほうが印象深い公園となりそうです。

ハマくま
野毛地区の散策コースのひとつとして楽しめます。

3密に気を付けながら、久々の散歩でした。
新型コロナウイルスが早く落ち着いてほしいです。

公園の情報

  • 名称:掃部山公園(かもんやまこうえん)
  • 住所:横浜市西区紅葉ヶ丘57
  • 駐車場:なし

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