横浜都市発展記念館の見どころと入館料は?歴史遺構紹介!最寄り駅からのアクセス抜群

横浜都市発展記念館とユーラシア文化館の建物の全体風景

横浜情報文化センターの隣接施設「横浜都市発展記念館」を訪問したので、展示の見どころを紹介します。
日本大通り駅直結なので、行きやすくてうれしい。
「横浜ユーラシア文化館」と同じ建物内にあります。
建物自体も、旧横浜市外電話局(横浜市認定歴史的建造物)なので、一緒に見ておきたいスポットです。

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横浜都市発展記念館の場所

横浜情報文化センターの建物の隣にあります。

最寄り駅は、みなとみらい線「日本大通り駅」3番出口直結。

横浜都市発展記念館とユーラシア文化館の看板と日本大通り駅の外側入り口

駅を出たところの外観からも分かりますが、横浜都市発展記念館と横浜ユーラシア文化館は、駅の看板と一緒に発見できます。

横浜都市発展記念館&ユーラシア文化館の入り口と日本大通り駅の地下入り口

都市発展記念館とユーラシア文化館入り口

みなとみらい線「日本大通り駅」は地下にあります。
3番出口を目指して地上に出たら、右手に入り口があります。

写真右側は、駅の地下につながるエスカレーターと階段です。

雨の日もまったく濡れることなく到着。

その他交通アクセス

電車
*JR「関内駅」南口・市営地下鉄1番出口から徒歩約10分。

バス
*市営バス・神奈中バス「日本大通り県庁前」徒歩1分。
*周遊バスあかいくつ「日本大通り」徒歩1分。

開館時間・料金・休館日

【開館時間】
9:30~17:00(最終入館は16:30)
※本来の営業時間

現在、当面の間の営業時間は10:00~16:30。
また変更あるかも知れませんので、正確な情報は、横浜都市発展記念館公式HPをご確認ください。

横浜都市発展記念館の入館料、開館時間、休館日が記載されたパンフレット

【入館料】
一般(高校生以上)200円
小・中学生・横浜市内在住65歳以上の方は100円
※特別展・企画展の観覧料は別
※毎週土曜日は小・中・高校生は入館無料
※障害者手帳をお持ちの方と介護者は無料

【休館日】
 月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始他

4階が横浜都市発展記念館です。
時間があれば、2階の横浜ユーラシア文化館、3階の企画展と一緒に見学することで、建物全体を楽しめます。

建物の裏側の中庭からの入り口

横浜ユーラシア文化館を見学!展示物の見どころと入館料・アクセス・所要時間

2020年9月11日

建物の歴史(旧横浜市外電話局)

都市発展記念館に行くのであれば、建物の歴史も知っておきたいところ。

旧横浜市外電話局(横浜市認定歴史的建造物)です。

昭和4年(1929)横浜中央電話局として建設。
その後、横浜市外電話局およびNTT横浜情報案内センターとして活躍。

NTTが移転したことで、横浜市の施設として保存活用することに。
本町通り、大桟橋通り側の外壁を創建当時のまま残して平成15年(2003)に新しくオープンしました。

旧横浜市外電話局の歴史案内板と建物の外観

建物の脇に行くと歴史案内板があります。

戦前逓信省営繕組織の設計による建物の貴重な現存例。
当初表現主義の色彩の濃い設計で建設が進められていたが、関東大震災にあったため、現在の設計になった。
外観はタイル張りと一部石張りによるシンプルな造形だが、1階のアーチの窓列やコーニスなどが特徴的である。

建物の特徴まとめ
外壁は濃茶色のタイルを全面に貼り、装飾を控えた堅実なデザイン。
2階から4階をまとめる柱型や頂部の石のコーニスに古典様式の細部を残す。
各階の高さは異なっている。
・1階と3階は高くそれぞれ営業室、交換室として使用。
・2階は局長室、技術官室などの業務スペース。
・4階は女子職員のための休憩室、食堂、宿直室が設けられていた。

※コニースとは、頂部にある水平に装飾された突起部。

旧横浜市外電話局(横浜市認定歴史的建造物)のプレート板

館内1階内部でも、名残を見ることができます。

旧横浜市外電話局の歴史の説明と当時の写真

訪問時は展示物があったため、写真撮影できませんでした。
※期間限定の展示コーナーになっていることがあります。

また訪れたときによく見てきます。

横浜都市発展記念館とは

平成15年(2003)開館。

現在の横浜市を理解するために、その原型が形成された昭和戦前期を中心に展示。

「都市形成」「市民のくらし」「ヨコハマ文化」の3つの側面から横浜が発展した歴史を見ていきます。

横浜は1859(安政6)年の開港により、国際貿易都市としての歩みを始めます。
その後、1923(大正12)年の関東大震災や1945(昭和20)年の横浜大空襲により、大きな被害を受けながらも、それらを乗り越えて発展してきました。

明治時代の終わり頃には工業地帯の形成が始まり、人口が増えるとともに、市街の周辺部には住宅地域が広がりました。
また、近郊農村との結びつきも強くなりました。
こうして1901(明治34)年から1939年にかけて、6回にわたる市域の拡張が行われ、これらの地域を含む複合的都市としての横浜市が生まれました。

(横浜都市発展記念館公式HP参照)

横浜が開港し、大震災、大空襲を経験しながらも発展していき、人口が増えて、今の立派な都市横浜になるまでのいきさつが分かります。

展示見学の見どころ

横浜都市発展記念館の展示は撮影禁止です。

おおまかな内容をまとめました。

1、都市形成

横浜の都市が形づくられる様子が、パネルや模型で知ることができます。

*都市計画のはじまり
大正8年(1919) 横浜市は交通網、ライフライン、住宅施設などの計画をはじめる。
しかし財政難や関東大震災で一時中断。
それでも震災復興で都市部の骨格が形成されていく。
昭和10年(1935) 復興を祝して、山下公園で博覧会が開催。
*都市の膨張と交通網の整備
横浜港、工業地帯が拡張・形成されていく。
郊外農業が発達、市域が拡張。
*戦争と都市計画
戦時期は、防空都市計画が実施。
横浜大空襲による市内各地の被害写真、戦後の接収時の写真が興味深かったです。
昭和24年(1949) 戦災からの経済復興として野毛山で日本貿易博覧会が開催。
*都市を支えるライフライン
開港以来、外国人居留地の整備にともない西洋の近代技術が導入。
獅子頭共用栓、煉瓦造下水道マンホール、明治期のガス灯など、複製したものが展示してあります。
*横浜建築探訪
明治期の赤レンガ建築~現在のランドマーク建築までの歩み。
*横浜風景今昔
街の景観の移り変わり。

横浜都市発展記念館のパンフレットのフロアマップ

2、市民の暮らし

大正期~戦後高度成長期にいたる住まいと暮らし。
住宅様式、間取り、生活用具が姿を変えていきます。

新興住宅地が開発され、住宅地としての横浜も拡大していく。
団地が登場したことで、住まいの風景も大きく変わります。

三種の神器(冷蔵庫・洗濯機・白黒テレビ)も登場。
徐々に快適な住まいへと移り変わっていくのが分かります。

3、ヨコハマ文化

関東大震災をきっかけに、変化する横浜。
そんなまちの様子を、昔の写真で知ることができます。

(一部の展示内容)
*伊勢佐木町には、映画館、百貨店が集まり、伊勢ブラを楽しむ人々。
*山手にあるミッションスクール、教会、外国人住宅の様子。
*横浜公園の球場、根岸競馬場でのスポーツの様子。
*郊外型大規模遊園地の先がけであった、鶴見に開業した「花月園 」。

ハマくま
見学して印象に残った部分を伝えています。
また再訪したら、新たな発見がありそう!

中庭の屋外展示(歴史遺構)

横浜都市発展記念館を見学するにあたり、屋外展示も見逃せません。
※中庭に展示されています。

横浜都市発展記念館の屋外展示が並んでいるところ

横浜市内で発掘された土木遺構が紹介されています。

卵形下水管

平成13年(2001)に県庁前の日本大通りで発見。

煉瓦造の卵形下水管の遺構

煉瓦造の卵形下水管(らんけいげすいかん)

現在の山下町一帯は、かつての外国人居留地で、下水管は明治10年代半ばに設置されたもの。

大中小3種類あるうちの「中下水」にあたるそうです。

レンガ造のマンホールに接続していました。
(常設展示室に、原寸大再現模型が展示)

一定の流速を確保するため管の断面は卵形をしており、枕木を敷きならべた上にコンクリートを巻いて敷設されていたそうです。

横浜市瓦斯局のガスタンク基礎

平成25年(2013)に市立本町小学校内の発掘調査で発見。

横浜市瓦斯局のガスタンク基礎の遺構

横浜市瓦斯局のガスタンク基礎

レンガ積み基礎の一部だそう。

明治5年(1872)創業を開始した横浜瓦斯(ガス)会社では、製造したガスを蓄えておくためのタンク(正式名称:ガスホルダー)が4基建設されていました。

こちらに展示されている基礎は、明治39年に完成した4号タンクのものと思われるそうです。

国内最古のガス管

平成14年(2002)に市立本町小学校の校庭から出土。

展示された国内最古のガス菅

国内最古のガス菅

同校の敷地は日本で最初にガス事業をおこした横浜瓦斯会社。
のちに瓦斯局と改称。

製造されたガスは、地中に埋められた鋳鉄管を通って街なかのガス灯に送られていました。

管の接続部分に、瓦斯会社の創業時に資材を購入したイギリスのレイドロー社のイニシャルがあります。
国内最古のガス管であることを裏づけるものなんだとか。

ハマくま
本町小学校(中区花咲町)は、野毛地区にあります。
現在は人口増加で暫定ではありますが、みなとみらい地区にも本町小学校が開校しています。

神奈川台場の石

平成23年(2011)の発掘調査で出土。

神奈川台場の東海面側石垣に用いられた間知石けんちいし(四角錐形の石)。

展示された神奈川台場の石発見された石垣は現地で保存されており、「ヒストリアレジデンス海舟」(神奈川区星野町)内の資料室で見れるそう。

神奈川台場は、勝海舟の設計により湾岸警備のための砲台として築造。

完成後も実戦に使用されることはなく、外交使節の来航時に祝砲を放つ砲台として利用されたそうです。

ガス灯

横浜市都市発展記念館所蔵の、明治時代のガス灯柱から型を取って復元したもの。

遺構展示の近くにあるガス灯

頭部は残っていなかったそうで、明治時代の写真に写っているガス灯を参考にして、新規に制作。

台座には、製造元を示す文字があり、イギリス・グラスゴーのレイドロー社で製造されたものだそう。

こちらは、実際にガスで点灯していると記載されていました。

旧居留地消防隊地下貯水槽の遺構

屋外展示の中庭から少し離れた、駐車場がある歩道側にも遺構があります。

消防救急発祥の地碑と旧居留地消防隊地下貯水槽のプレート板

日本ではじめて消防車、救急車が配置された消防救急発祥の地。

居留地消防隊の防火貯水槽の遺構

明治期にこちらに置かれていた、旧居留地消防隊地下貯水槽の遺構が残されています。

昭和47年(1972)まで使用されていました。

そして、中消防署開設の地でもあります。

居留地消防隊が本拠地として使用した後も、日本初の消防車、救急車が配置されるなど、日本における近代消防ゆかりの地ともいえると説明書きがありました。

ハマくま
横浜は街のあちこちに、さりげなく遺構が残されています。

まとめ

都市横浜のライフラインができる過程、震災・戦後の写真、成長する横浜の暮らしと文化などから、過去の横浜について知らなかったことが学べました。
昔の歴史建築などが、模型を通して見ることもできたので、当時の写真と立体模型のそれぞれを見ることで、理解が深まりました。
今後も横浜の発展とともに資料が増えていくと思われ、また再訪したいと思います。

ハマくま
日本大通り駅に来たついでに見学して、象の鼻パーク、大さん橋や山下公園のある海側に遊びに行くこともできます。

施設の情報

  • 施設名:横浜都市発展記念館
  • 住所:横浜市中区日本大通り12
  • 営業時間:9:30~17:00
    ※現在は変更あるので公式サイトご確認ください。
  • 休館日:月曜日(祝日の場合は翌平日)、年末年始他
  • 横浜都市発展記念館公式サイト

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