横浜公園(横浜スタジアム)のアクセスや歴史を紹介!日本庭園もある駅近の公園

横浜公園の看板と横浜スタジアム

横浜スタジアムがある横浜公園を散策。
明治9年(1876)に開園した、横浜では山手公園の次に古い公園になります。
最寄り駅は「関内駅」「日本大通り駅」。
野球観戦だけでなく、園内をぶらりと歩くのもいいですね。
公園の歴史と一緒に見どころを探してきました。
駅からのアクセスも紹介します。

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横浜公園(横浜スタジアム)のアクセス

【最寄り駅】
JR・市営地下鉄「関内駅」、みなとみらい線「日本大通り駅」。

各3つの最寄りの駅から、横浜公園までの道のりを簡単に説明。
また横浜中華街から公園の位置関係も紹介します。

JR関内駅からの行き方

JR「関内駅」の南口を降ります。
関内駅は、南口(横浜スタジアム側)と北口(馬車道、伊勢佐木モール側)があります。

改札を出て左側に進み、外に出ます。

関内駅側の横浜公園入口と横浜スタジアム

JR「関内駅」側の公園入口

駅を出たら、右方向に進めば、すぐに上の写真の景色が現れます。
※写真右側は、横浜公園のインターチェンジ出口(首都高速横羽線)。

信号を渡れば、公園に到着(徒歩約1~2分)。

駅の中では1番公園に近く、横浜スタジアムが立派に見えます。

関内駅前にあった横浜市庁舎は、馬車道駅の方に移転。
※旧市庁舎の跡地は、今後再開発されます。

市営地下鉄「関内駅」からの行き方

市営地下鉄「関内駅」1番出口から地上に出ます。

外に出たら、右方面をまっすぐ進むだけ。

市営地下鉄「関内駅」側の公園入口と横浜スタジアム

市営地下鉄「関内駅」側の公園入口

歩いた先に信号があり、渡れば横浜公園の入口に到着(徒歩約3分)。

こちらは広々とした入り口です。

入った所に「BAYSTORE PARK(ベイストアパーク)」というベイスターズのショップがあります。

みなとみらい線「日本大通り駅」からの行き方

「日本大通り駅」2番出口から外に出ます。

出たところは、イチョウ並木で有名な日本大通りです。

日本大通り側にある横浜公園入口

みなとみらい線「日本大通り駅」側の公園入口

そのまま海方面に行くと象の鼻パークになります。

海とは逆方向に大通りをまっすぐ進めば到着(徒歩約3分)。

ここから入り口に入ると、ブラントン像があり、歴史見どころがそろっている場所。
公園の噴水や日本庭園もすぐです。

横浜公園~横浜中華街の行き方

中華街の入り口(玄武門)の近くに公園入口があります。

なので、横浜公園と横浜中華街は道路を挟んでお隣同士。

横浜中華街の玄武門と横浜公園の入り口

横浜中華街側の公園入口

公園の入り口は、木々の生い茂る場所にあります。

ここから入ると、日本庭園のエリア。

公園出入口の前には横断歩道があるので、渡れば中華街に行けます。
位置を覚えておくと、関内駅→横浜公園→横浜中華街にスムーズに行けるから便利。

中区役所も道路を挟んで目の前にあります。

ハマくま
他にも入り口はありますが、主なところを紹介しました。

公園の案内図

先ほどの公園入り口の場所は、園内にある案内図でも確認できます。

横浜公園の案内マップ

行きたい場所を知るには、園内マップが便利!
トイレの位置も分かります。

こうして見ると、横浜スタジアムの占める面積が大きいなぁ~。

横浜公園の歴史とブラントン像

歴史ある公園なので、横浜の歴史を知るうえでも気になります。

さっそく調べてみました!

リチャード・ヘンリー・ブラントンの銅像

R・H・ブラントン像

銅像の人物は、リチャード・ヘンリー・ブラントン(R・H・ブラントン)

英国人土木技師で、明治元年(1868)に灯台建設主任技師として、政府に招かれ来日。

開国にともない、日本沿岸各地に灯台を建設する。
「日本の灯台の父」と言われています。

また、8年間にわたり活動の拠点としていた横浜では近代的な町づくりに貢献。

ブラントンの横浜での功績が記載されている

R・H・ブラントンの横浜での功績
日本大通りや横浜公園の設計、水道、築港計画、吉田橋(鉄の橋)架設、
新橋・横浜間の鉄道意見書など。

横浜の歴史を調べはじめたら、お馴染みの歴史人物になってきました。

なんと横浜公園の設計にも関わっていました。
ブラントンによって作成された公園の設計案は、予算削減で、神奈川県が最終実施案を作成。

横浜公園の歴史板

昔の横浜公園の写真も見れる!

公園一帯は、江戸時代の末期までは入海だったそうです。
安政3年(1856)に埋め立てられ、太田屋新田となる。

横浜開港にともない新田の沼地がさらに埋め立てられ、港崎町(みよざきちょう)と命名。
岩亀楼など開業し、国際社交場として栄えたそう。

横浜公園誕生のきっかけ

港崎町は一帯は、慶応2年(1866)の大火(通称:豚屋火事)で焼失。
幕末の大火で開港場のおよそ三分の一が焼失。
跡地(港崎遊郭の跡地)は、当時在留の外国人の要望で公園として再生することになる。

公園は、外国人居留地と日本人市街地を隔てる防火道路(日本大通り)と一体的に計画されます。

ブラントン像の横には、横浜公園の歴史板が並んでいる

像の横に並ぶ公園の歴史板

横浜公園の歴史の流れ
  • 明治9年(1876)公園(横浜公園)が誕生。
    開園当時は外国人と日本人の双方が利用できる「彼我(ひが)公園」と呼ばれる。
  • 明治32年(1899)居留地制度が撤廃。
    神奈川県の所管から横浜市の管理に移る。
    明治42年(1909)公園全域が横浜市の管理となり「横浜公園」と呼ばれる。
    市民が集う公園へ、野球場、日本庭園も整備。
  • 大正12年(1923)関東大震災で公園が避難場所となる。
    復興として、グラウンド、音楽堂など整備。
  • 昭和20年(1945)終戦後は公園内の野球場は接収はされ、米軍専用となる。
    昭和27年(1952)接収解除後は、平和球場と改称。
  • 昭和50年代に入り、プロ野球団の誘致とともに新しいスタジアムが計画される。
    昭和53年(1978)横浜スタジアムが完成。
平成19年(2007) 日本大通り・山下公園とあわせて国の登録記念物(名勝地)となる。
平成21年(2009) 近代化産業遺産の認定を受ける。

我が国最古の公園と記載された石碑

我国最古の公園と記載された石碑

横浜で最初に西洋式公園ができたのは山手公園で、横浜公園は2番目。
ややこしいですが、日本人にも開放されていた洋式公園としては最古のようです。

木立の奥にある旧山手68番館

山手公園(日本のテニス・洋式公園発祥地)を歴史散策!テニス発祥記念館も見学

2019年6月26日

横浜公園の見どころ

横浜公園を散策して見つけた、個人的な見どころを紹介。

横浜スタジアムの外周デッキを回遊!

横浜DeNAベイスターズの本拠地である横浜スタジアム

2階の回遊デッキ(Yデッキ)は、全長600メートルで、ぐるりと1周することが可能。

階段やスロープなど上れる場所は、園内のあちこちにあります。

横浜スタジアムのデッキ

好きな場所から上に行き、違う角度から公園の景色を眺めるのもいいね。

2階にもベイスターズショップがあります。

スタジアムの歴史も紹介されていたので、簡単にまとめました。

横浜スタジアムの歴史
  • 「彼我公園」ができて、公園でスポーツを楽しんだのは、居留地の外国人。
    ことクリケットが盛んであったそう。
  • 外国人居留地が廃止され、横浜市の管理で「横浜公園」になる。
    大正時代には学生や労働者の間で野球が盛んになる。
    公園に設けられた野球場では、多くの試合が行われた。
  • 昭和4年(1929)スタンドの付いた本格的な野球場が完成。
    昭和9年(1934)野球の神様「ベーブ・ルース」が来日、日米野球が開催される。
  • 終戦後、横浜公園は米軍に接収され野球場は「ゲーリック球場」と名付ける。
    ※「打撃王」ルー・ゲーリックにちなんで。
    接収中も日本人が野球をすることは許されていた。
    昭和23年(1948)日本プロ野球で初のナイター(巨人対中日)が開催。
  • 昭和27年(1952)公園が横浜市へ返還。
    当時の市長により「横浜公園平和球場」と命名。
    市民には「平和球場」の名で親しまれる。
  • 昭和53年(1978)平和球場の跡地に日本初の多目的スタジアムとして「横浜スタジアム」が完成。
    横浜大洋ホエールズの本拠地として横浜に初めてプロ野球の球団が誕生。
    80年代以降はスポーツの他、音楽コンサートの会場としても親しまれる。
  • 平成5年(1993)横浜ベイスターズと名称を変更。
  • 平成23年(2011)横浜DeNAベイスターズが誕生。

日本庭園

和の空間も用意されています。

横浜公園の日本庭園入り口日本大通り側から公園に入るとこちらの門があります(噴水の近く)。

門には「彼我庭園」と書いてあります。

「第33回全国都市緑化よこはまフェア」を記念し彼我(外国人と日本人)の友好と平和が深まるよう定めたそう。
※彼我とは、相手と自分の意味。

歴史を感じる灯籠

岩亀楼の石灯籠と説明板

岩亀楼の石灯籠

灯籠は妙音寺(南区三春台)から横浜市に寄贈されたもの。
石には「岩亀楼(がんきろう)」の文字が刻んである(明治初年頃のものと思われる)。
※いつ頃、妙音寺に移されたかは判明していない。

岩亀楼(遊郭)は港崎町にあったが、慶応2年の大火で焼失。
以後二転三転して、明治16年に永楽町に移り、明治17年に廃業。

震災、戦災により多くの文明開化期の遺物を失った横浜にとり貴重な文化財の1つと記されています。
説明板がないと素通りしてしまうくらい、背景に溶け込んでいました。

日本庭園らしい和のなごり

蹲ばいと水琴窟

蹲踞と水琴窟

説明板には「蹲踞と水琴窟」と書いてあります。

蹲踞(つくばい)とは?
茶席へ入る前に、手と口の中を清潔にするための場所。

水琴窟とは?
そこで洗った水が、地下へ排水されるときに発生する水音を楽しむ装置。

蹲踞の下に水琴窟があります。
自然の音を楽しむ繊細なこだわりに、日本の美を感じます。

大きい池があります

池

ベンチに腰かけて休んだり、お弁当を食べている方がいました。

池のほとりで、自然を感じながらぼんやりするのもいいですね。
亀も泳いでいます。

池の中に灯籠(友好と平和の灯籠)があります。

説明板を短く抜粋

米国オレゴン州のポートランド日本庭園内にある雪見灯籠を複製したもの。
灯籠には恒久平和の灯をともすと英語の文字が刻まれているんだそう。

彼我庭園の名称の意味と、横浜の国際交流の歴史と文化をあらわす礎とし、「灯籠の里帰り」の意を込め設置と記されてます。

こちらの日本庭園は、秋の紅葉の時期もおすすめです。

水の広場の彫刻

広場には、4体の動物の彫刻が置かれています。

横浜公園の水の広場訪問時は、獅子像だけ時々水が出ていました。
※まったく出てないときもあったので、その時によります。

他の像は水が出てませんが、そばに立つと出ました。
油断してたので、靴の上にジョボジョボ~と水がかかったよ(涙)。

子供が水遊びをして喜びそうな場所ですね。

動物が向いている方向
*獅子(移転しましたが、旧横浜市庁舎)
*馬(馬車道)
*イルカ(横浜の港)
*龍(中華街)

明治20年(1887)創設された横浜水道の100周年を記念して造ったそうです。
水の広場の中心のトチノキの下には、水瓶と水の妖精の彫刻。

水の広場にある水瓶と水の妖精の彫刻

水瓶は水源をあらわし、水の妖精が守っています。

水源から水の流れが渦巻きのように広がっていく様子を石だたみに描いているんだとか。

広場の地下には循環式の貯水タンクがあり、災害時に必要な飲料水を確保しているそうです。

遊具広場が港町っぽい

遊具広場

遊具広場は、横浜の港らしい遊具が置いてありました。

ミニ灯台、船っぽいアスレチックなど。

遊具広場のすぐ横に、ちょっとした芝生広場があります。

横浜公園の噴水

日本大通り側にあります。

横浜公園の噴水

朝顔形の噴水塔

昭和3年(1928)の関東大震災の復興事業で完成した噴水。
明治時代から数えて3代目だそう。

この噴水塔は、岡山産の万成(まんなり)花崗岩でできています。
公園から港へと向かう日本大通りの中心軸と重なるように配置。

写真の噴水の先には、まっすぐに伸びた日本大通りの通りが見えます。

春はチューリップが有名な公園

チューリップの時期は、とてもきれいな公園に変身。

一番の見頃は、4月上旬~下旬あたり。

チューリップの花畑と横浜スタジアム

この記事は、春に撮影した写真も利用しています。

色とりどりのチューリップを見ながら園内をまわると、気持ちが華やかになります。

来年も楽しみです♪

まとめ

歴史を知って訪れると、思い出深い公園になるのではないかと思います。
駅からも近いので行きやすいです。
横浜中華街や港に行く途中の散歩コースとして楽しむのがおすすめです。
横浜公園では、年間を通してイベントなども開催されています。

ハマくま
地元民、野球ファンにまじり、日本大通りや中華街に近いことで、観光客もちらほらいます。

公園の情報

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